07:47:22
14

お腹がすきました。 .. 番外編



「お兄ちゃん」

「どうした妹よ」



 某月某日。ある日の昼下がり。会社近くの喫茶店に私は兄を呼び出した。
 5つ年上の兄は有名な玩具メーカー企業に勤めていて、子供向けの商品企画を担当している。開発アイテムを考案するだけではなく、営業部と共に小売店との商談を進めたり、生産現場である中国工場に出張する事も多く、多忙な日々を送っているみたいだった。そんな兄とこうして会うのは実に久しい。
 しかし今日は。無理やり時間を作ってでも、多忙の兄と直接会って相談したい事があった。それは。



「色気ってどうやったら出ますか」



 これだ。ふざけているつもりはない。私はすごく、今ものすごく真剣に悩んでいる。

 密かに好意を寄せていたキリタニさんと、想いが通じ合って3ヶ月が経つ。特に荒波立つようなトラブルも無く、いたって順調にお付き合いをさせて頂いている。今までの経験上、交際2ヶ月と続かなかった私が、だ。快挙だ。
 今まで誰と付き合っても、僅か1ヶ月という短期間でフラれまくっていた私。その原因はきっと、私にあるんだと思う。童顔だし、チビだし、体つきだって男がそそるようなスタイルとは言い難い。中身だって普通の女の子みたいに可愛い性格はしていない。要は女としての魅力が無いんだ。
 けれどキリタニさんは本当に真面目で誠実な人で、そんな私でもとても大切にしてくれる。いつも私を気遣ってくれる。優しくしてくれる。時折頬や唇を撫でてくるその手が、指先が、愛しさを滲ませた触れ方だと気付いてくすぐったい気持ちにさせてくれる。今までこんな人に出会ったことは無い。
 仕事は出来るし、見た目も格好いい。中身だって、確かにクール系だけど周りが言うほど無愛想な人じゃない。頼れるし、人としても本当に理想の存在だ。そんな彼とお付き合いをしている私は幸せ者だと思う。

 ……思う、けれど。

 そろそろ、直に触れ合ってもいいんじゃないのかな、私達。
 付き合い始めて3ヶ月。次のステップへと踏み込みたいと思うのは、私だけでしょうか。



「……さやか」



 そんな事をムラム……じゃない。モヤモヤと考えていた私に、兄は静かに頭を振った。



「よく聞くんだ。お前が本来持っていた筈の色気は、その尋常ならざる胃の中に飲み込まれてしまったんだ。これは予想でも妄想でもなく、純然たる事実だ。そもそも色気というのは、それに見合うヤツでない限り、どうあがいても醸し出せるものじゃない。よってお前に色気は出せない。何故か?お前には、食い気しかないからだ」

「……」

「もう一度言う。お前に色気を出すのは、無理だ」

「そんな悲しくなる事言わずに。無理だからって諦めたらそこで試合は終了です」

「お前は何の試合をしようとしているんだ」



 冷静かつ辛辣な兄の突っ込みは今日も一段と冴えている。なんだか女としての自分をズタボロに否定された気分で悲しくなる。
 そもそもこんな悩み事を家族相手に相談するのもどうなのかと思う。けれど私達は交際している事を周りに隠しているから、会社の人間には大っぴらに相談しにくい。何より、幼い頃からずっと相談事の相手はいつも兄だった。何かと頼りになる兄に甘えてしまう癖は、成人を迎えた今でもどうにも抜けない。



「試合というか、一戦交えたいんです。ベッドの上で」

「万年発情期もいい加減にするといい」

「失礼です。万年発情なんてしていません」

「どの口が言う。胸に手を当てて考えてみろ。過去の自分を振り返るんだ」

「………。(あててみる)」

「どうだ」

「胸の高鳴りを感じます」

「動悸息切れだな。養○酒を飲め」



 冷めた視線が私に突き刺さる。やっぱり相談する相手を間違えた。酷い言われ様だ。
 確かに、過去付き合っていた人数は多い方かもしれない。自分が惚れやすい性格だって自覚もある。
 でも決して遊びなんかじゃなかった。浮気心なんて無かったし、ひとつひとつの恋に私はいつだって真剣だった。だからこそ今、前へ進むことに恐怖を抱いてしまう。また相手が離れてしまうんじゃないかと躊躇してしまう。万年発情してるわけじゃない。万年下ネタトークは炸裂しているけれど。

 キリタニさんが好き。けれど、彼に対して募る想いは、もう好きという感情や言葉だけじゃ収まらなくなっている。
 彼に触れたい。触れられたい。私の全部まるごと、あの人のものにしてほしい。彼にとって私が一番特別な存在なんだと実感したい。彼に想われていることはちゃんとわかっているけれど、大切にされている=触れない事じゃないと思う。
 未だに進展の無い私達。キリタニさんはどうして触れてくれないんだろう。やっぱり私が子供っぽい所為なんだろうか。私に女の魅力が無いからだとしたら、それは大変由々しき事態だ。死活問題だ。そんな危機感が臆病な私を駆り立てる。いつまでも怖がって受身なままではダメだ。彼が動かない以上、私自らが行動に出るしかない。



「でもいきなり剥いだらドン引きされそうな勢いです」

「おい剥ぐな」



 冷静なツッコミが逆に癇に障る。こんなに真剣に悩んでいるのに。



「女の意地とプライドと、男の股間に関わる問題なんですよ」

「沽券な。お前はいい加減、真顔で下品な下ネタを発言する癖をやめろ」

「真顔で下ネタを言うからキャラが活きるんです」

「お前は一体何を目指そうとしている」

「そんな事より色気の話です」

「何なんだ。そんなに色気を振りまいてどうしたいんだ」

「そんな誰彼に対しても色気を振りまくような発言しないで」

「男でも出来たのか」

「できました。だから悩んでいるんです」

「ほう」



 何のデザインも施されていない質素なティーカップに口をつけて、物珍しい表情で兄は私を見た。



「今度は大丈夫なのか」



 私の今までの恋愛事情は、兄もよく知っている。だからこそ、この発言なんだろう。



「大丈夫です。とても誠実な方で優しい人です。真面目にお付き合いさせて頂いてます」

「なら何の不満も無いだろう。なぜ急に色気なんて言い出すんだ」

「抱かれたい」

「直球すぎる」

「変でしょうか」

「変、ではない。仲が深まれば体の繋がりを求めるのは自然の摂理だ、そういう展開にも発展するだろう。ただ、色気を身につけたからといって成せるものではないんじゃないか?むしろ、それで安易に抱くような男なら別れたほうがいいと俺は思うが」

「……」

「何をそんなに焦っている」



 焦っている?
 そうだ、焦ってる。私はいつも不安でしょうがないから。
 別にそういう行為が目的なわけじゃない。いや、結果的にそういう話になるけれど、そうじゃなくて。体の繋がりではなくて、気持ちの方。
 私を好きと言ってくれたキリタニさんを信じていないわけじゃない。ちゃんと想われている事もわかってる。
 でも、人の気持ちに絶対なんて無い。この先、キリタニさんがずっと私を好きでいてくれる保障なんてどこにも無い。だから目に見える確かな絆が欲しくなる。
 兄の言う通り、キリタニさんは色仕掛け如きで簡単に流されるような人じゃない。
 けれど。わかっていても、譲れない想いもあるのだ。
 ひとりで悶々としていると、兄がやれやれといった調子でひとつの提案を私に下した。



「色気など必要ない」

「……でも」

「お前は馬鹿か。今まで見た目だけで近寄ってきたヤツとは違う、素のお前を受け入れてくれた男なんだろう。色仕掛けなどせずに、そのままの自分をぶつけてみろ」

「つまり剥ぐってことですね」

「どうしてそうなった」

「違うんですか」

「そうじゃない。今お前が悩んでいる事を、ちゃんと相手に伝えろ。言葉に出来ないなら、行動で示せ。間違っても剥ぐなよ。それでも相手に応える気が無いなら、その時にまた2人で話し合え」

「……」



 これは私だけの問題じゃないのだと、暗にそう示してくれているのがわかる。
 お互いに気持ちを伝え合ったあの日、頑張らなくてもいいとキリタニさんは私に言った。無理に何かを変える必要はないとも言った。その言葉通りに受け取るなら、兄の言う通り、今の自分のままで素直に悩みを打ち明けた方がいいのかもしれない。私達の問題だ。いくら想い想われているとわかっていても、口に出して言わないと相手に伝わらない事もある。




「それともうひとつ」

「?」

「お前、アレは持ってるのか」

「アレとは」

「アレだ。ゴムだ。もしもそういう展開になったら必要だろう」

「……はあ」



 実の兄から避妊具の有無を聞かれるのは、なかなか気持ちの悪いものがある。



「……持っていません」

「相手が持ってくれているとは限らないからな。自分で用意しておけ。それから、ゴムを持ってることはギリギリまで相手に言うな」

「……?」

「試すんだ。もしゴム無しでも事に及ぼうとする男なら速攻別れろ。女を大事にできない無責任な男など、この世のクズでしかないからな」

「………」



 ……ドヤ顔で言うことなんだろうか、それは。




・・・



 私の予想を遥かに超えるほど、キリタニさんの心のガードは固かった。
 口で直接言うのはやっぱり抵抗があって、それとなく部屋へと招いてみた。キリタニさんは鈍い人じゃない、私の不自然な誘いに何かしら意図を感じ取ったはずだ。けど、手を出してくる様子は無い。それどころか私が淹れたコーヒーを飲んだら帰るとか言い出した。なんという鉄壁の守り。崩せる予感がしない。やっぱり剥ごう。
 それでも距離を詰めてぴったりと寄り添えば、キリタニさんも私に応えるようにくっついてきた。衣服を通じて伝わる体温が心地よくて、ああもうこれでいいや。って夢見心地のまま瞳を閉じる。…………いやいや。違う。ダメだ。何の為に部屋に誘ったんだ。



「あの、お風呂、沸いたので。入っていきませんか」

「……え?」



 つい数分前に帰ると言い出した本人に、こんな誘い方あるか。不自然極まりない。キリタニさんも心底驚いたような表情で私を見つめていて、さすがにあからさま過ぎたと内心焦る。彼の顔を直視できなくて、私はずっと視線を下に向けたまま、なおも不自然な言い訳を主張し続けた。彼の沈黙が重い。お兄ちゃん、どうやら私は盛大にスベッたようです……泣きたい。
 そんな事を思っていたら、急に彼の腕が私の頭を抱いた。え、と思った直後にこめかみに触れたひとつの熱。それが何かなんて見ずともわかってしまった。思わず頬が熱くなる。



「もういい」

「……え」

「俺が悪い」



 見上げた先にあったキリタニさんの視線と、私の視線が絡む。さっきまで戸惑いの色を帯びていた彼の目は、今は力強い光を宿して私を映し出していた。
 衣服の擦れる音と同時に近づいた、互いの顔の距離に一瞬、目を見張る。キリタニさんの髪が頬を掠めて、視界が彼一色に染まった途端、唇を塞がれた。今までの、そっと触れるような優しいキスとは全然違う。本能のままに、ありったけの思いをぶつけるようなキスだった。

 それから先のことは、必死すぎて鮮明には覚えていない。何度も重ねてくるキスは素の自分を暴かれるんじゃないかと思う程に激しくて、体を撫でる彼の手のひらは酷く熱い。与えられる刺激に翻弄されっぱなしの私に平然を装う余裕なんてある訳がなく、ただただ彼がもたらす快感の波に体を震わせていた。
 けれど恐怖心なんてものは全く無くて、むしろ女として求められている事に高揚感すら抱いた。いつも冷静沈着な彼が見せる、もうひとつの姿。私だけに見せてくれた剥き出しの男の顔。きっと今の私も同じ、女の顔をしてる。彼も私を抱きたいと思ってくれていたことが嬉しくて、体が繋がる以上に、心が繋がった気がした。



 ……ちなみに、キリタニさんは兄の言う「この世のクズ」でもなかったです。
 あと意外にSでした。萌えたね。



・・・



 深い眠りから覚醒した時、隣にあるはずの温もりが消えていた。
 昨日キリタニさんのスマホに、実家からの着信があった事を思い出す。もしかしてお家に帰っちゃったのかな。ベッドに横たわりながらそんな事をぼんやりと考える。目が覚めた時、傍に好きな人がいない現実は、意外にも胸にちくりと痛みを残した。
 そろりと身を起こした時に感じた、お腹の底に鈍く伝わる違和感。けどそれは一瞬の事で、気だるい感覚はすぐに消えた。思いの外、体が疲れていない。若さって素晴らしい。
 一息ついた時、テーブルの上に置かれた紙切れの存在に気がついた。キリタニさんが私宛てに残したメモ。そこには、コンビニに行って来る旨が書き残されていた。部屋の鍵を借りるとも書いてあった。帰ったわけじゃなかったんだ。
 キリタニさんらしい、達筆で綺麗な字。メッセージの最後には、「すぐに戻るから」と一言添えてある。寂しさで埋まっていた胸に、今度は温かさが宿っていく。彼の真面目な性格と優しさがその文面に表われていて、思わず笑みが漏れた。
 ふと、自分の姿に目を落とす。あられもない姿だった。身体のところどころに赤い印が残されていて、それが彼の独占欲の表れのように感じて、下半身がきゅんと疼く。こんな朝っぱらから発情よくない。キリタニさんが帰ってくる前にシャワーを浴びてしまおうと、バスタオルを手に取って自分の体に巻きつける。
 浴室へ向かう前に、私は兄に電話をした。何度目かのコールの後に出た兄の声は、意外にも普通の声音だった。もう起きてたのかな。



「お兄ちゃん」

『どうした妹よ』



 先日と同じ挨拶を交わした後、私は兄にある報告をした。



「わたしは今日、いや昨日」

『?』

「漢になりました」

『女の間違いだろう。アホ妹め』



 一度頭の病院に行って来い。そんなツッコミが受話器の向こうから聞こえてきたけれど、有頂天になっている私に兄の声は届かない。
 早く帰ってきてほしい。彼の顔が見たくて、声が聞きたくて、そんな風に思う私はもう末期かもしれない。兄への余計な報告を済ませた私は、足取り軽く浴室へと向かった。



(了)