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09:05:35
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お腹がすきました。 .. 02



 公園内を駆け回っていた数人の子供が、母親に呼ばれてひとり、またひとりと笑顔で走り去っていく。
 人気も無くなり、遊具の影が夕闇で伸びていくだけの公園、その隅に置かれていたベンチ。白く塗装されたペンキは所々剥がれ落ち、年季の入りようを感じさせた。

 俺はそのベンチに座って、さっき購入したばかりのおにぎりとお茶を、隣でうなだれて座っている彼女に手渡した。パンは死守した。
 のろり、と顔を上げた女の子の視線が、俺の手元で止まる。手のひらの上でころりと転がるおにぎりに、目が釘付けになっている。
 途端、ぱあああ、と。まるで花が咲いたかのように表情が一変した。驚きに満ちた目はきらきらと輝きだし、口は半開き状態。興奮しているのか頬全体が赤みがかっている。ぺこぺこと何度も俺にお辞儀をして、受け取ったおにぎりのパッケージをピリッと破いた。そして肉食動物の如く、すごい勢いでもしゃもしゃと食べ始める。口を挟む隙すらない。
 たかが100円ぽっちのおにぎりを、目に涙を浮かべながら、おいしいおいしいと何度も呟いて貪っている。こんなに喜ばれて、100円おにぎりもさぞ嬉しいだろうな。

 ものの数秒でおにぎりを胃の中に納めた彼女は、傍らに置いてあったペットボトルのキャップを開けて、中身をこくこくと飲み始めた。数秒後、ぷはっ、と短く息を吐き、更にもう一度お腹の底から深く息を吐いている。満腹感で満たされたその表情は、幸せをかみ締めているように見えた。「生き返った……」と微かな囁きまで聞こえた。
 餓死寸前ではあったが、どうやら最悪な状況だけは回避できたみたいだ。

 あっという間にお茶を飲み干した彼女は、頬を紅潮させたまま、くるりと俺の方に顔を向けた。
 改めて正面から見た彼女は、空腹で行き倒れていた人物とは思えないほど身なりはきちんとしている。丈の長いトレンチコートの襟元からチラリと覗く中身は、どこかの会社の制服に見えた。背が低い所為か高校生くらいかと思っていた。顔も幼い。
 クセのない真っ直ぐな髪から、甘い香りがほんのりと漂ってくる。香水は元々苦手だが、彼女の香りはさほど不快だとは思わなかった。コートもブーツも、今女性に人気の流行りものを一式揃えたコーデのようだ。見た目だけで言えば本当に、普通のOLと変わりない。



「助けて頂いてありがとうございます、通りすがりの親切なお兄さん」

「桐谷です」

「キリタニさん。ありがとうございました」



 言い直して、深々と頭を下げられる。少し舌足らずな口調が、余計に幼さを感じさせた。

 どうしてこの時、自分の名前を名乗ってしまったのか。後になってそう思った。
 今日初めて会った相手。
 どこに住んでいて、どこで働いているのかも全く知らない。
 今後会うこともないだろう彼女に、名乗る義理など無いはずで。



「あの、ご連絡先、教えて貰ってもいいですか?お礼がしたいです」

「いいよそんなの。大した事してないし」

「でも、それだと私の気が収まりません」

「ほんとにいいって」

「じゃあ、せめてお代だけでも」

「200円程度だし。いいよ、ほんとに」



 善意は時として、相手に重荷として圧し掛かる。俺は別に立派な人助けをしたなんて思ってないし、自分がした事に対する見返りも報酬も求めていない。彼女の誠意は素直にありがたいとは思うが、俺が必要ないと思っている以上、彼女の言葉はありがた迷惑でしかない。
 何より、女に苦手意識がある俺としては、これ以上彼女と関わり合いを持ちたくなかった。関わる必要があるとも思えない。もしもこの先、偶然街で彼女を見かけたとしても、声を掛ける事もしなければ、こうしてご飯を分け与えることもしない。徹底的に知らない振りを貫き通すだろう。

 幸いにも、彼女は空気の読める子のようだった。口に出さずとも、俺の真意は彼女に伝わったらしい。そうですか、真顔のまま大人しく引き下がってくれたお陰で、俺も後味悪い思いをせずに済んだ。人間、いつでも引き際が肝心だ。



「もし、また再会する事があったら、その時はお礼をさせてくださいね」

「ああ。その時は一緒にご飯でも」

「はい」



 この時交わした口約束はきっと果たされない。見ず知らずの相手とこの先出会う確率なんて、限りなくゼロに近い。偶然でも起きない限り、再会なんてきっと無い。それは俺だけじゃなく、彼女自身もそう思ってる。
 だからあえて、再会した時は、なんて仮定を彼女は口にした。このぎこちない雰囲気を変える為だけの言い回し。社交辞令。そしてそれに俺も軽く応えた。
 会話の流れを明るい方向に変えてくれたお陰で、気まずさの残った場の空気が軽くなる。彼女の誠意を拒否した俺が罪悪感を抱かないように、そんな彼女の気遣いが、気さくな言葉の端から感じ取れた。少しだけ感心を抱く。苦手だと思っていた女への意識が、少しだけ薄れたような気がした。
 ……なんだ、いい子じゃんか。

 血色を失っていた彼女の頬は、薄く赤みがさしている。顔色も悪くない。一時はどうなるかと思ったが、お腹が満たされた事で体調もすっかり元に戻ったようだ。

 目的地まで車で送ってあげようかと思ったが、その目的地はすぐ近くなので、そう言って彼女はその場を後にした。最後にもう一度俺を振り向いて、頭を下げてくる。律儀な子だな、そう思いながら軽く手を振って応えた。俺もいい加減、会社に戻らないと。

 遠くなっていく彼女の後ろ姿を見て、ふと疑問を抱く。
 一般企業の定時は基本17時と決まっていて、今はまだ16時。定時前だ。
 会社の制服に身を包んだ彼女がこの住宅街にいるとなれば、それは帰宅途中だった、とも思える。目的地はこの付近だとも言っていた。けど、今はまだ会社の人間が帰宅するような時間じゃない。

 そこまで考えて、頭を振る。そんな事を考えたところで意味は無い。
 恐らく、今後2度と会う事は無いだろう。
 俺には全く関係の無いことだ。



 ……やっぱり、お礼してもらえばよかったな、と。

 密かに沸いてしまった彼女への興味は、それまでの思考と共に放棄した。




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