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08:46:46
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お腹がすきました。 .. 04


 今日だけで何度、時間を確認したかわからない。
 仕事の合間合間に腕時計を見ては、手が空いている時にスマホで確認。同僚らに「お前、今日落ち着きないな」と言われるくらいだから相当だ。自覚はある。
 定時前にあらかた業務を終わらせて、会社の周辺で評判のいい店がないかPCでチェックする。お互い知り合ってまだ1日、一緒に食事に行くのも、当たり前だが今日が初めてだ。変に気取って小洒落た店を選ぶより、親しみ慣れたこの周辺の通りにある店の方が、互いに気兼ねく過ごせていいかと思った。



 定時の17時を迎えると同時に書類を片付けて、PCの電源を落とす。鞄とコートを抱えて、同期の奴らから飲みに誘われる前に部課を出た。あいつらに捕まったら厄介だ。
 既に到着していたエレベーターを無視して、階段がある通路へ向かう。今は時間よりも人気が少ない道を優先したかった。エレベーターだと、人の目が多い。
 それはつまり、誰かに呼び止められる可能性が高いという事だ。挙句、長話に付き合わされて彼女との待ち合わせ時間に遅れるなんて事になったら最悪だ。
 4階から一気に階段を駆け下りるのもなかなか大変なもので、徐々に息が上がってくる。だが定時上がり、疲労の溜まった体に鞭打って階段を使う奴なんてほぼいない。途中で人とすれ違うことはなかった。
 最後の一段を下りきって玄関口に目を向ける。そこには既に、彼女が壁に背を預けて立っていた。ベージュのトレンチコートに、ショルダーバッグの手持ち部分が肩に掛けられ、スマホをいじっている。腕時計で時間を確認すれば、まだ5分しか経っていない。来るの早いな。
 急いで近づけば、俺の存在に気付いた彼女がスマホから目を離して、コートのポケットに仕舞いこむ。壁から背を離して、俺と向かい合った。表情は相変わらずだ。



「キリタニさん。お疲れ様です」

「お疲れ様。待たせたみたいでごめん」

「ちょっとフライングしちゃいました」

「何分前から来てた?」

「17時の5分前くらいです」

「確かにフライングだ」

「楽しみで。ちょっとテンションあげ過ぎました」



 ……顔、無表情だけどな。
 でも彼女の言葉が嘘じゃないっていうのは、真っ直ぐに向けられた瞳と、波長の変わらない声音でわかる。
 楽しみに、してくれてたんだ。そんな一言に浮ついてしまっている自分がいる。

 見知った同僚らに気づかれる前に、俺達は会社を出た。うっかり声を掛けられて、連れが増えるなんて面倒な展開だけは避けたかった。同時に、嫌だとも思った。
 外に出た途端に吹き付けた季節風は、まだ肌に冷たい。コートを羽織りながら、2人でのんびりと歩道を進む。コートを着終えるまで彼女が俺の鞄を持っていてくれて、そういう気遣いがすぐ出来るところが、やっぱり女の子なんだと改めて認識させられた。



「どこか行きたい店ある?一応俺、このあたりの店いくつかリストアップしてきたけど」

「そうなんですか。じゃあ、そのお店は今度行きませんか?」

「いいけど……」



 今度。今度、また一緒に行こうと思ってくれてるんだ。そんなさりげない主張に、また胸が変にざわついてくる。なんだこれ。中学生かよ。
 今まで女に無関心だった自分の前に現れた、ちょっと気になる女の子。そんな存在が出来た事に、俺もテンションが上がっているのかもしれない。



「今日は、キリタニさんにご紹介したいお店があるんです」

「俺に?」

「私の行きつけのお店です」

「そうなんだ。このあたり?」

「はい。もう着きますよ」



 彼女が紹介してくれたのは、本当に会社から然程離れていない場所にあった。建物と建物の間、狭い路地の少し奥に佇んでいる、こじんまりとした小さな店。古ぼけたランプに灯されたキャンドルが玄関口に2つ飾ってあり、白く塗装された扉は手作り製に見える。ぽつぽつと飾ってある小さな照明が辺りを淡く照らしていた。



「あ、ここ知ってる」

「ほんとですか?」

「うん。入ったことは無いけど。外観の雰囲気が良さげだから、ちょっと気になってたんだ。遠目だと何の店かよくわからなかったから、足が遠のいてたけど」

「普通の飲食店だけど、ご飯がすごく美味しいんです」

「へえ」

「メニューが豊富という訳でもないし、ちょっとお値段が高いけど。でも、めちゃめちゃ美味しいのです。お勧めです。太鼓判です」

「そんなに」

「そんなに、です。私、会社帰りはよくこのお店に来ます」

「友達と?」

「いえ。1人で来ます。大勢でご飯を食べる雰囲気の店ではないので」

「ああ。そういう雰囲気なんだ」

「それに、こんな素敵なお店は誰にも教えたくありません。私が全部独り占めです」

「軽く営業妨害だそれ。俺に教えちゃっていいの?」

「キリタニさんと一緒なら、落ち着いてご飯を食べられると思って」



 普通に会話をしているようでも、内心はずっと胸が踊っている。緊張にも似たざわめきが心を支配して、呼吸が浅くなる。落ち着かない。どうにか平然を装うのが精一杯だった。ちょっと情けない。
 けどそれは仕方ないと思う。
 彼女自らが大絶賛するほどのお気に入りのお店を教えてくれた。誰にも教えたくないと豪語する場所に、俺を連れてきてくれた。
 そんな。
 そんなの、まるで俺が特別、みたいな扱い。
 こんなの、嬉しくないわけが無い。
 思わずニヤけそうになる表情を引き締めて、目の前の扉に手を掛ける。チリン、と耳に心地よい鈴の音が静かに響いた。


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