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08:06:58
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お腹がすきました。 .. 14

 エレベーターから降りた後。玄関口へと目線を向けた先に、水森がいた。ちょうどエントランスを抜けてこっちに向かってくる。
 彼女の両手にひとつずつ握られた、大きな買い物袋。コンビニで購入してきたらしいお菓子が、レジ袋の中にぎゅうぎゅうと詰められている。まさかあれ全部、自分専用の食べ物じゃないよな。彼女なら十分有り得る話なだけに苦笑してしまう。大食いチャンプの水森なら、あの程度の量など屁でもないだろうけど。
 水森は少し俯き加減にゆっくりと歩いている。袋から山盛りのお菓子が零れ落ちないように気を張っているのだろう。俺の姿には気付いてはいないようだった。



「水、」

「――水森!」



 名前を呼ぼうとした矢先、先に彼女を呼ぶ声が遠くから掛かる。当然顔を上げた水森が目を向けたのは、俺じゃなくて、もう一人の方で。



「課長」

「探したよ。ちょっと水森に頼みたい事があってさ」



 どうやら用件は急な仕事のようだ。なら話が終わるまで待つか。近くの柱に寄りかかって、数歩先にいる2人のやり取りを黙って眺めていた時、不意にマーケの課長の目線が俺に向いた。やべ、見すぎてたのバレたか。
 俺の存在に気付いたらしい課長の口の端が、僅かに上がる。そして水森に視線を戻した。

 ……なんだよ。なんか、癪に触る。



「至急この案件を頼みたいんだけど、いいかな?」

「私でいいんですか?」

「本当は担当の子に頼むべきなんだろうけど、急ぎなんだ。ここだけの話、水森が一番仕事早くて正確だからさ。内密に頼むよ」



 両手を顔の前で合わせながら懇願する課長の前でも、水森の無表情っぷりは崩れることは無い。



「わかりました」

「うん、助かる。今度メシでも奢るよ」

「はい。至急仕上げてファイルに添付して送ります」

「ありがとう、よろしく」



 そう言ってマーケの課長はエレベーターの奥へと走り去っていく。手渡された書類とレジ袋を抱えながら、彼女はふと、視線を横にずらした。そこでやっと俺の姿に気付く。驚きで少しだけ目を見開いた水森の頬が、ほんのりと赤く染まった。
 課長の前では無かったその表情の変化が、俺だけの特権のように感じて嬉しくなる。柱から身を離して彼女に近づいた。



「キリタニさん」

「お疲れ」

「お疲れ様です」

「すごい荷物だな。ひとつ持つか?」

「いえ、大丈夫です。2つとも私物だし、これでも軽いので」

「やっぱそれ、自分用なんだ」

「常備品は欠かせません」



 常備品にしてはその量の多さたるや。しかしその声には珍しく、力が篭っている。水森がそう力説するのには理由があった。
 彼女から以前聞いた。俺達が出会ったあの日、つまり彼女が空腹で倒れてしまって、偶然通りかかった俺が助けたあの時。彼女は絶対必須の『常備品』を忘れてしまったらしい。
 空腹を感じた時、すぐに小腹を満たせるようにと彼女は常日頃、何かしらお菓子を携帯していた。それは飴だったりチョコだったり、種類は様々だ。
 それを、あの日に限ってカバンの中に忍ばせておくのを忘れてしまい、しかも運悪くご飯抜きで朝から夕方まで外で歩き通しだったという。その失態こそが、彼女を行き倒れという結果に導いてしまった、らしい。



「これから外回りですか」

「うん」

「今日、夕方から雨マークでした」

「え、雨降るんだ?」

「天気予報では雨みたいです」

「知らなかった。それまでに帰ってこないとな」

「……」



 ぼやく俺の前で、真っ直ぐな瞳がじっと見上げてくる。何かと思って俺も見返すけれど、いつも無表情な彼女から思考や感情を読み取るのはなかなか難しい。それは付き合い始めてから3ヶ月経った今でも変わらない。




「……水森」

「はい」

「ごめん今何考えてる」

「疲れてるのかなあ、って思ってました」

「あーそうだな。少し疲れてるかも」



 体力的には全然だが心労が絶えない。
 しつこく水森と俺の関係を探ろうとする川井もそうだが、好奇心丸出しな周囲からの視線とか、今しがた見たマーケの課長とのやり取りとか。
 水森と仲良くなってから気付いた。彼女は他の課の男性社員とも仲がいい。と言っても、川井同様「すれ違ったら話す程度」だけど。それでも彼女が他の奴と話している姿を見ると、心は穏やかではいられない。自分がこんな嫉妬深い人間だったなんて知らなかったから余計に。
 付き合う以前、水森は「子供っぽい」自分に落ち込んでいた。けどこういう時、思う。俺の方が全然ガキっぽい。嫉妬心に駆られて自分を見失いそうになるとか、感情ひとつもコントロールできないなんて情けないと思うけど。いいように彼女に振り回されている事を自覚する。

 1階のエントランスに社員はまばらに居るものの、俺達を気に掛ける輩はいない。それをいいことに、少しだけ彼女との距離を縮めて、耳元に口を寄せる。



「なあ、疲れた」

「はい」

「癒して?」

「……」



 至近距離で目が合う。じっと俺を見上げる瞳がほんのわずか、動揺の色を見せた。無表情なのは変わらずだが、そんな些細な変化が間近で見られるのが嬉しい。




「……癒す」

「うん」

「わかりました」




 お。まさか承諾されるとは思っていなかった。好きな子にそんな事を言われたら、何してくれるのかと期待してしまうのは男の性なのかそれとも惚れた弱みなのか。期待感で胸を膨らます俺の前で、水森は2つあった買い物袋を一旦床に下ろし、しゃがんだまま、袋の中身をごそごそと漁りだす。そして何かを取り出し、立ち上がってソレを俺に差し出してきた。



「……なんだそれ」

「備長炭味のペロペロキャンディです」



 串が刺さった円盤型の形状をした大きな飴。よく露店や駄菓子屋で見られるそれは、赤・黄・青などいくつかの色が、渦巻状となって描かれている、はずだ。けれど目の前に差し出されたそれは、いくつかの色どころか黒一色で覆われていて、渦巻状の模様らしきものもない。どす黒い漆黒の闇に染まったその飴から、禍々しいオーラが放たれている。



「……真っ黒なんだけど」

「備長炭味ですからね」



 どうぞ、と念を押すように目の前に差し出された。何の感情も含んでいないような真顔が俺に迫る。汚れなき純粋な瞳は真剣そのもので、射抜くような眼差しが突き刺さる。なにこの展開。癒しはどこいった。



「……あのさ。そうじゃなくて、他に何かあるだろ」

「何かとは」

「俺はもっと色気ある展開を予想してたんだけど?」

「そんなものを私に求められても困ります。さあどうぞ」

「癒してくれるんじゃなったのか」

「これを食べれば、あまりの不味さに疲れも吹っ飛びます。さあどうぞ」

「そんな癒しこそ求めてない」

「さあどうぞ」

「……」



 聞く耳持たない。え、なにこれ……俺に死ねってこと……?



「……ありがとう」

「いえ」



 強引かつ強気なセールスから逃れられないと悟った俺は、大人しくそのダークマターを受け取った。受け取る寸前に水森がぺりっと包装を剥いでくれたお陰で、今すぐ食べられる仕様済み。食べられる……食べられんのこれ……?確かに疲れは吹っ飛びそうだけど、同時に魂も吹っ飛びそうだ。
 彼女の手から俺の手に渡ったそれを、とりあえず一口だけ、と口に含んでみた。



「どうですか」

「………うん………すごく……………炭の味」

「備長炭味ですからね」



 ……。それさっきも聞いた。





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