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08:19:45
08

お腹がすきました。 .. 16



 水森の様子がおかしい。
 エレベーターを待ってる間、乗っている最中、3階通路を一緒に歩いてる時も。
 彼女は一言も言葉を発しなかった。

 水森は普段からそんなにお喋りな方ではない。そして俺も、川井のようにべらべらとものを話すタイプではない。けれど、その場の雰囲気に合わせて会話を盛り上げるべきか口を閉ざすべきか、くらいの判断は互いに出来る。特に彼女は、その場の空気を読むのは上手い方だった。
 だから、普段の水森であればこの場合、自ら俺に話しかけてくるはずだ。けど今日に限ってそれが無い。なら俺から話しかければいい話ではあるが、別の事に思考を囚われていた俺に、そんな余裕は無かった。
 ちらりと隣を見れば、彼女は少し俯き加減に歩いている。その表情はどこか硬い。
 雨に濡れた髪の先端から雫が零れ落ち、白いうなじに滴り、弾けた。
 思わず目を逸らす。本当に勘弁してほしい。期待しそうになって、はやる気持ちを抑えるのに精一杯だった。



 カチリ、鍵穴の奥から無機質な音が響く。静かに開けられたドアを手で押さえて、どうぞ、と中に促された。お邪魔します、控えめに言って中に入る。動きがぎこちなくなってしまうのはもう致し方ない。
 散らかってますけど、気まずそうに言った水森の部屋は、予想に反してシンプルな印象だった。正直、女の子の部屋というイメージは沸かない。というのは、ナチュラル素材が多いのだ。パイル材のラックやキャビネットには観葉植物がひとつずつ飾られていて、随所随所に籐カゴが置いてある。テレビやPCには麻の布が被せてあり、生活感が見えない工夫を凝らしている。部屋自体は8畳にキッチンが2畳くらいの狭さだが、背の低い家具で揃えているせいか、思っていたより圧迫感は無く、むしろ広く見える。ロースタイルってヤツだ。



「あの。適当なところに座っててください」

「ああ、うん」



 そう言って水森はキッチンの方へ向かってしまったので、俺は大人しくその場に座った。狭い室内にはコンパクトなテーブルとテレビボードがあり、ベッドも低いタイプのものだ。
 正直、女の子の部屋というものに慣れていない。中学の時に付き合っていた彼女とはすぐに別れたから、部屋に足を踏み入れた事は無い。高校は男子校だから女とはほぼ無縁の生活を送っていたし、卒業後はすぐ今の会社に入社してひたすら仕事に没頭していた。合コンの数合わせで仕方なく参加したことはあったけれど、女に無関心だった俺に色気ある展開なんてあるわけもなく。これまでの経験で女の子の部屋にお邪魔したのは、いとこの子の部屋くらいだ。
 なんだか落ち着かないな、そう思っていた時。ぽて……、と膝元に何かが触れた。見下ろした先にいたのは、以前水森が紹介してくれたウサギのウサ子。ふわふわした毛並みの揃った両前足をちょこん、と俺の足に置いて見上げてくる。垂れた耳は相変わらずだ。撫でれば、気持ちよさそうに瞳を瞑っている。



「あっ」



 キッチンから出てきた水森の手には、コーヒーカップが2つ握られていた。それらを一旦テーブルに置いた後、慌てて俺の傍に駆け寄ってウサギを抱き上げる。



「すみません」

「いや。その子、部屋に放し飼いにしてんの?」

「いえ。私がいない時はケージの中に入れてるんですが。最近この子、勝手にケージ開けて外に出ちゃうんで困ってます」

「利口なんだ」

「トイレはちゃんとケージでしてくれるんですが。家の中って危ないものも多いから」

「不在の時に怪我したら大変だしな。ケージ変えるしかないんじゃないか?」

「そうですね。ちょっと、陽鳥園さんとご相談しようかと」

「陽鳥園?」

「ペット屋さんです。そこでこの子とモル男を見つけて、引き取っちゃいました」

「2匹一緒に?」

「この子達、仲良しで。一緒のケージに入ってたんです。どっちか片方買っちゃったら、離ればなれになっちゃって可哀相だから」

「へえ……」



 なんでもウサギとモルモットは温厚な性格で、相性もいいらしい。ペットとして2匹一緒に飼う人も多いそうだ。
 そのモルモットのモル男は、部屋の片隅に置いてあるケージの中で大人しくしている。黒と白の毛の混じったもっさり具合は健在で、今日も今日とて小さな体を丸めてモップと化していた。
 水森は2つ並んだケージのうち、もうひとつの空いているケージにウサギを戻した。しっかりと扉を閉めた後、大きめのタオルをケージの上に被せている。
 そんな彼女の格好は今、雨で濡れた黒ジャケットを脱いで薄い青みがかったシャツ姿だった。ちょっと、男の前で無防備すぎないか。そう思ってしまったのは、俺が過剰に意識しすぎている所為なのか。
 テーブルの上には2つ分のコーヒーカップ。珈琲豆の香ばしい匂いが、白い湯気がとともに立ち込めている。俺の方に戻ってきた水森は、カップをもう一度俺に差し出してきた。大人しく受け取ると、自分の分も手に取り、俺の隣に座った。
 水森はいつもこの位置だ。ご飯会の時も、彼女は俺の前ではなく隣に座る事が多い。向かい合わせだと食べてる所を見られるし、目が合うのも恥ずかしい、そう言っていた。
 気持ちはわかるけど、水森が幸せそうな顔で食べてる姿を見るのが好きだったから、個人的には向かい合わせの方がいいんだけど。けどそれを直接口にした事は無い。



「テレビ、つけてもいいですか?」

「ん、どうぞ」



 この微妙な雰囲気で何かしら雑音があるのは大変ありがたい。気まずさも少しは和らぐ。
 テーブルに置かれたテレビのリモコンに向かって、水森の手が伸びる。が、微妙に届かない。代わりに手に取って彼女に手渡せば、相変わらずの無表情ですみません、と一言詫びられた。付き合ってから3ヶ月も経つのに、俺に対する敬語口調は崩れない。そういえば未だに俺ら、苗字で呼び合ってるな。
 水森の指がリモコンの電源ボタンを押す。ディスプレイに映し出されたのは明日の天気予報。



「明日、晴れみたいです」

「そっか。今日の天気でどうなるかと思ったけど良かった」

「さっき窓から外を見たら、もうすぐ止みそうな気配でした」

「そうなんだ。あの豪雨も一時的なものだったのかもな」

「そうですね」

「もう晴れそうだし、これ飲んだら帰るよ」

「……はい」



 掠れたような声がどことなく落胆しているように感じたのは、気のせいか。



「……あの」

「ん?」

「……もう少しだけ、隣に行ってもいいですか」

「……どうぞ」



 すぐ隣から、服の掠れる音がする。そろりと床を滑らせて体をずらしてきた水森が、ぴたりと隣に寄り添ってきた。両手には、まだ中身が残されているコーヒーカップが握られている。ちらりと彼女に目をやれば、相変わらず無表情な横顔がほんのりと赤く染まっていて。伝染したかのように、自分の顔まで熱くなるのがわかった。
 視線を逸らした時、にわかに緊張の走った肩に、トン……、と水森が控えめに頭を傾けてきたからまた驚いた。いきなり部屋に誘ったり、くっついてきたり。今日は随分とグイグイ来る。普段は素っ気無いのに。

 肩にかかる重みが心地よい。衣服越しに感じる体温が、緊張で凝り固まった体を解していく。
 水森に寄り添うように、肩に預けられた頭に頬をくっつけた。シャンプーの香りが鼻腔を掠める。お互い何も言葉を交わさないまま、そのままの体勢でまどろんでいた。



 ……なんだ、これ。滅茶苦茶、いい雰囲気なんだけど。



「……キリタニさん」

「……ん?」

「あの、お風呂、沸いたので。入っていきませんか」

「……え?」

「あ、その。雨で濡れちゃったから」

「……」

「体、冷えちゃってると思うし。温まっていった方が、いいのかなって」

「……」



 しどろもどろになりながら、必死に言葉を紡ぐ水森の姿に後悔を抱く。
 俺は実家通いだけど、ここから離れているわけじゃない。車で10分程度の距離だ。
 10分だけ車で走ればそこはもう俺の自宅で、風呂なんてすぐに入れる。何も、此処でわざわざ浴室を借りる必要なんてない。それは、水森自身もよくわかっているはずだ。
 それなのに彼女はお風呂でも、と言う。
 やっぱり、彼女が俺を部屋に誘ったのは意図がある。それが何なのかも、俺はもうわかってる。そこまで鈍くはなれない。

 水森の立場になって考えてみた。
 3ヶ月。もう、3ヶ月だ。一向に自分に触れてこようとしない彼氏の存在を、彼女自身はどう思っただろう。
 少し前の彼女は、見た目も中身も『子供っぽい』自分を悲観していた。その所為で受けた過去の痛みは、まだ完全に癒えてはいないはずだ。俺が触れてこないのは、そんな自分の所為だと思っているかもしれない。そんな訳ないのに。



 腕を回して、彼女の頭を抱く。こめかみに唇で触れれば、水森は驚いたように俺を見上げた。



「……もういい」

「……え」

「俺が悪い」




 自分達のペースでいい、なんて。思うように彼女に触れられない自分を正当化したいが為の言い訳だ。
 本当はずっと触れたかった。腕の中に閉じ込めて、掻き抱いて、自分だけのものにしたかった。
 そんな風に思ってしまう自分を「ガキっぽい」とか「格好悪い」と思ってた。そんなダサい自分は見せたくないと虚勢を張っていた。ちっぽけなプライドの所為で彼女を気に病ませてしまっていたなら、そっちの方がよっぽどダサくて格好悪い。
 水森は見た目のトラウマを抱えながら、それでも前に進もうと頑張ってくれた。やり方が拙くても、必死でも。不器用なりに自分達との関係を進めようとしてくれている。
 なら、今度は俺が頑張る番、だよな。



「水森」

「は、はい」

「1人で勝手に不安がるな」

「……え」

「俺も同じ気持ちだから」



 額に唇で触れながら囁く。目を見張って俺をもう一度見上げてきた彼女に小さく笑いかける。後頭部に手を添えて、そのまま強引に唇を塞いだ。
 口付けたまま、彼女の手からコーヒーカップを奪ってテーブルに置く。濡れた唇から、ほろ苦い珈琲の味がした。

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