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07:44:02
14

お腹がすきました。 .. 23



 ―――翌日は快晴だった。



 昨日までの豪雨が嘘のような晴れ模様。雨が止んだ後の外はひんやりと肌寒い。初夏の風に乗って、緑のみずみずしい空気が肺に入り込んできた。
 路傍にひっそりと咲いているシロツメクサから透明な雫が滴り落ちて、青葉に弾ける。アスファルトに残る水溜りには雲ひとつない、澄んだ青空が映し出されていた。

 助手席に置いたままの袋を手に取り、運転席から降りる。まだ朝の6時前、周囲に人の姿は見当たらない。
 見上げた先にあるマンション、そのエレベーター前まで向かう。歩く度にカサカサと小刻みに音が弾むレジ袋の中には、コンビニで購入した物が沢山詰まっている。売れ残りらしい弁当におにぎり、パン、デザート。俺一人ではとてもじゃないが食べ切れる量ではない。
 勿論これは俺の朝食、ではない。
 彼女のものだ。
 この殆どの量が彼女の胃の中に納まってしまうんだろうと思ったら、少し笑えた。

 3階に着いて、目的の部屋まで歩を進める。扉の前に立ち、部屋の鍵を差し込んで回す。カチン、鈍い音が響いた後にドアノブに触れ、ゆっくりと扉を開けた。
 浴室の方から、微かに水音が聞こえてくる。
 まだベッドの中で眠っているだろうと思っていたけれど、俺が外出中に目が覚めていたようだ。靴を脱いでいる最中に、シャワーの音は止んだ。

 室内はまだカーテンが閉められたままで、照明もついていない。
 薄暗い部屋の中、買い出し物をテーブルの上に置いてその場に座りこんだ。鞄の中からスマホを取り出して、ディスプレイに触れる。
 昨晩掛かってきた電話はやはり自宅からで、一度きりのコールの後の着信はない。これまでも同僚達との飲み会や、無理やり付き合わされた合コンで朝帰りになった事は一度や二度ではない。家の奴らもそれをわかっているのだろう。
 とはいえ今回は飲み会でも合コンでもない。朝帰りの理由を問われたらどう言い訳するかな、そう考えていた時。



「……お帰りなさい」



 控えめな声が聞こえてきた。目を向ければ、タオルを手に持って歩いてくる水森の姿がある。英字がプリントされたトップスとショートパンツ姿の、ラフなルームウェアに着替えていた。



「……帰っちゃったのかと思いました」

「ごめん。一応、メモは残しておいたんだけど」



 出掛けてる間に彼女が起きてしまったら、俺が居ない事に戸惑うかもしれない。そう思って紙切れにメモ書きを残しておいた。そのメモがテーブルの上から無くなっている。ちゃんと目は通してくれたようだ。



「何か、買って来てくれたんですか?」

「朝メシ。コンビニで弁当とかパンとか色々買ってきたけど。どれ食べる?」

「全部」

「だよな」



 そう言うと思った。苦笑しつつ、レジ袋を手に持って彼女に差し出す。受け取った袋の中身をまじまじと物色していた水森の視線が、ふと、俺に向いた。



「あの、お代」

「ん?いや、別にいいよ」

「でも、今回は200円じゃ済まない量ですよ」

「じゃあ俺も食う。半分こしよ」

「……はんぶんこ」



 ぽつりと呟かれた。
 半分の量だとやはり不満なのかと思ったら、そうではなかった。コーヒー淹れてきますね、そう言ってキッチンへと向かった水森は、どこか嬉しそうに見えたから。心なしか、声も弾んでいるように聞こえる。
 何か、嬉しがるような事なんか言っただろうか。女子ってよくわからん。

 レジ袋から中身を取り出してテーブルの上に並べる。弁当が3つにパンが5つ、おにぎりが5個。追加でデザート2つ。自分で買ってきておいてアレだが、改めて見ると凄い量だ。普段から水森の食いっぷりを見てるから、最近だとこんな量でも然程驚かなくなってしまった。慣れとは恐ろしい。
 しかし朝からこの大量のご飯を腹に入れてしまったら、普通であれば仕事に支障をきたす。腹痛や胃痛に苛まれる事もあるし、何より満腹状態は眠りを誘う要因になる。昼食だって箸が進まないだろう。なんて事を考えてしまうのは、俺が真面目すぎるからなのか。
 けど間違ってはいないと思う。腹八分目というのは何事においても大事だ。
 けどそれはあくまで一般人の場合であって、水森の場合はそうではない。彼女の場合、お腹に何も入れないこと自体が、非効率だ。満腹状態である事がマイナスになるなんて彼女に限ってないのだろう。羨ましい限りだ。
 水森との最初の出会いを思い出す。お腹が空いた、それだけで道端で倒れてしまった女の子。今思い出しても、凄い出会い方だ。



「……なんですか?」



 コーヒーカップを手元に置いて、水森はやっぱり隣に座った。そして俺が小さく思い出し笑いしている様子を訝しげに見つめている。



「腹減りすぎて倒れてた誰かさんの事を思い出してた」

「……あれは黒歴史ですから忘れてください」

「いや、あれは忘れようとしても忘れられないって」

「言っておきますけど、お腹が空いて倒れたなんて後にも先にもあれ一度きりです」

「へーそうなんだー」

「棒読み……」



 本当なのに。彼女はぶつぶつ言いながら、弁当を手前にぱちんと割り箸を割った。俺も同じように割り箸を手に取って2つに割る。いただきます、2人揃って食前の挨拶を交わして朝ごはんにありつく。弁当の量がどうとか味がどうだとか、互いになんやかんやと言い合いながら箸を進めていく。



「あ、」

「?」

「さやか、これ食って」

「え?」

「俺これ嫌い」



 弁当の中でさりげなく存在を主張していたソレを箸で摘んで、おもむろに彼女の口元まで運ぶ。
 目の前に差し出されたソレと、箸の先と、俺と。順に見ながら彼女は無表情のまま固まってしまった。今度はどうした。



「郁也さん」

「なに」

「あの、これって」

「うん、ブロッコリー。あれ、さやかもブロッコリー嫌いだった?」

「いえ、そうではなくて」

「ん?」

「こ、これはいわゆる、『はい、あーん』というやつでは」

「……」

「ば、バカップルの専売特許じゃないですか。今ここでやっちゃうんですか。ウサ子とモル男が見てる前でそんな、」

「食うのか食わないのか」

「食べます」

「口開けろ」



 水森の発言がたまにおかしいのは今に始まったことじゃないので、こういう時は軽くスルーする事にしている。じゃないと、彼女のペースに巻き込まれるからだ。
 そんな俺の素っ気無い態度に不満を漏らすことも無く、水森は口の中に放り投げられたブロッコリーの謎の感触と味わいを堪能している。真顔で。



 こうして一緒に並んでご飯を食べるのは、既に慣れてしまった光景だ。
 けれど今は早朝で、そしてここは彼女の部屋だ。今までのご飯会とは全く違う。
 昨日の情事の後に、初めて2人で迎えた朝。むず痒いような、妙な気恥ずかしさが残る。



「……一緒に暮らしたら、こんな感じなのか」



 ぽつり。胸に沸き起こった言葉が口をついた。
 その呟きに、特に含みなんてない。そういう未来を描いていたわけでもない。だからそれは本当に、たった今不意に浮かんだ思いが無意識に口から零れた、それしか言いようがない。
 そして言葉にして初めて、その重さを痛感する。



「……へ」



 水森の気の抜けたような声と同時に、カチャン、彼女の指から箸が滑り落ちてテーブルの上に落ちた。口が半開き状態で、ぽかんとした表情のまま俺を見つめ返している。常に無表情が鉄板の彼女にしては珍しいアホ顔だ。

 無意識とはいえ、軽々と口にしていい言葉じゃなかったかもしれない。なんせ、付き合い始めてまだ3ヶ月しか経っていないのに、そこまでの気持ちと覚悟が互いにあるわけもなく。
 この先付き合いが長くなればそういう事も視野に入れるのだろうとは思うけれど、今はまだその段階に無い。仕事の面でも人間的な面でも俺達はまだ半人前で、20過ぎたばかりの未熟な大人だ。互いの事もまだ十分分かり合えているとも言い難い。覚悟を決めるタイミングがあるとしたら、それらを全部クリアした後だろうと思う。
 それに今はまだ、この距離感でいたい。
 呆けてる水森が落とした箸を拾って手渡す。慌てて受け取った彼女は、俺がうっかり漏らした呟きにうろたえている様に見えた。そりゃそうだ、捉えようによってはただのプロポーズの言葉だ。



「気にすんな。なんとなく、そう思っただけだ」

「は、はい」

「別にそういう事考えてるわけじゃないから。……まだ」

「ま、まだ」

「……さやか」

「は、はい!」

「ウサ子また勝手にケージ開けて出て行ったぞ」

「ふぁ!?」



 玄関先に向かって、ぴょこぴょこ小さく跳ねていくうさぎの姿を、水森が慌てて追いかけていく。
 なんか童話でこんな風にウサギを追いかけるシーンがあったよな、そう思いながら、もしも一緒に暮らす事になったらコイツらとも暮らすことになるのか、そんな考えが頭の片隅によぎった。



・・・



「……じゃあ、一旦家に帰るから」

「はい」



 玄関の扉の前。両腕にウサ子とモル男を抱えながら、水森は俺を見上げた。彼らと一緒に見送ってくれるらしい。
 結局コンビニで買ってきた物全て、彼女は余裕で完食した。その上、「焼肉弁当が食べたい」とか言い出したから必死で止めておいた。彼女の腹が満たされる前に、俺の財布の中身が破産の危機だ。
 2人で片付けた後に、早々に帰る準備を整えた。時間は既に7時を過ぎている。
 一度帰宅して着替えを済ませなくてはならない。急げば、出社の時間に間に合う筈だ。



「また後でな」

「はい」

「……さやか」

「……?」

「昨日、可愛かった」

「……っ!」

「また来てもいい?」

「……は、い」



 腕に抱えたもふもふの毛並みに顔を埋めながら恥ずかしそうに頷く。突然昨日の話をぶり返されて朱に染まった頬は、ウサ子に顔を埋めたところで隠せてはいない。
 昨日と今日で、随分と彼女の色んな面が知れた。常日頃、無表情で敬語が癖になっている水森だが、本当は感情豊かな人間で、余裕がなくなるとその無表情が崩れて素の表情へと変わる。口調まで変わってしまう程だ。彼女のこんな最大の弱点など、俺くらいしか知らないだろう。



 彼女に背を向けた後、背後で静かに扉の閉まる音がした。そのまま歩を進めて、エレベーターの到着を待つ。開かれた扉に乗り込んで1階のボタンを押した時、メールの着信音が響いた。
 その相手が誰かなど、確認せずともわかってしまう。本当に律儀だな、改めてそう思いながら鞄に仕舞い込んだスマホを再び取り出す。すぐに返信をするあたり、俺も結構律儀な性格なのかもしれない。
 水森とは何かと共通点が多い。思えば、互いに悩んでる内容も一緒だった。
 結局は似た者同士なのか。そんな事に今更気付いて、知らず、笑みが漏れた。



(了)

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